こんにちは。およそ1年ぶりに投稿させていただきます、2年の原です。
大変長らく途絶えておりました意気込みブログ、再開です。
まずはこの場をお借りして、ブログの復旧に尽力くださった皆様にお礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。
前回投稿できなかったものを読み返してみると、時候の挨拶に代えて徒桜に思いを馳せていました。今や山奥の渓流が恋しい季節となり、流れゆく時間のはかなさを痛感するところです。
この3か月の間に、途切れる前の意気込みブログで度々話題に上っていた春リーグが終わりました。詳しくはBBSを読んでいただければと思いますが、目標としていた3部昇格は叶いませんでした。先週の双青戦でも京大に敗れてしまい、部員一同7大戦・秋リーグに向けて決意新たに練習に励んでおります。
さて、僕の目標としては、プレー面ではないことを挙げようと思います。というのも、チームの勝利のために全力を尽くすというのは前提であり、プレー面の目標は全てそれに集約されてしまうように感じるので。
現在2年の僕は、主務や副務の先輩方の仕事を手伝わせていただきながら、後に副務・主務として部に貢献するべく勉強させていただいております。その立場を踏まえ心に据えるべきと思いつつも、なかなか決心がつかなかったテーマがあります。先日ようやくその決意が固まったので、この機会に報告させていただきます。
— Let be. —
これが、仕事人たるべき僕が今シーズン、さらには4年の秋まで据え続けることばです。
皆さん、読書はお好きですか?
本をたくさん読んだことのある方は、自分の人生の教科書とも言うべき物語をいくつかお持ちだと思います。つい3ヶ月前まで、僕の一番の教科書は灰谷健次郎さんの「天の瞳」でした。小学生の頃読んでからこの方、その輝きは片時も褪せたことがありません。なぜその話をするかというと、この3ヶ月のうちに新たな教科書に出会ったからでして。
それは、おそらく世界中で最も教科書にされている物語の1つ、Hamletです。
ここ最近、部の仕事をしている際に無視できないほどの違和感を抱くことがままあります。仕事を任したり任されたりした時に絶対やっちゃいけないと僕が心に決めていることを、他の人が一切の抵抗なしに行うのです。僕だったら、自分が犯してしまったことに気付いたら1週間は寝付けないようなことでも、他の人は遠回しに指摘されても全く気付かないのです。
その“やっちゃいけないこと”、僕がこれまでに何度も何度も自らに反論をぶつけ、繰り返しそれを論破し、強固なルールにしてきたものでもあります。だからこそ、やろうと思えばほぼ確実に相手を論破できてしまう、これが悩みの種でした。悪いと思ってやっていない相手を逃げ場なく責め立てるのは、それはそれで間違っていると思うので。そうは言っても文句を言わずには耐えられないときは、感情に身を任せて文句を言うことで相手を言いくるめずにやり過ごすと、そんな日々を送っていました。
そんななか大学の講義で再会し、3ヶ月かけて解釈を学んだのがHamletでした。
物事の善し悪しについて、非常に印象的な台詞があります。
— there is nothing either good or bad, but thinking makes it so. —
善いも悪いもすべては物事を認識する主体の考え方によって決まるもの。どれだけ自分の論理が正しかったとしても、その結論が善いものである保証はなく、さらには善いか悪いかを考えることそれ自体が無意味なことなのです。
また、感情に身を委ねることを諫める場面もHamletには多く含まれています。
例えばハムレットがポローニアスを殺してしまう場面。理性を失ったハムレットが激情に突き動かされた結果のこの殺害は、感情の激しさゆえに意味が失われてしまった行為です。意味のある行動をとるには、バランスの取れたpassionとreasonが必要なのです。このことは、ハムレットがホレイシオを称えた次のセリフにも表れています。
— Give me that man / That is not passion’s slave, and I will wear him / In my heart’s core, ay, in my heart of heart, / As I do thee. —
自分がいかなる考えを持っていようともそれを根拠に他人を責めてはいけないのです。そして感情を高ぶらせずに理性と調和させなければならないのです。(即ち、今の僕のままではいけないということです。) それではどんな行動をとればよいのか、それが問題となります。
宗教的な話も関わる下のハムレットの台詞は、大きな神の力・自然の摂理を前に、人間のなせることは限られている、という諦念に基づいています。
— Let Hercules himself do what he may, / The cat will mew, and dog will have his day. —
— there is a special providence in the fall of a sparrow. —
キリスト教徒ではない僕には、これらの真意を完全に汲み取る自信はありません。それでも一人であがいていたところで何にもならない、という感覚からは大いに学ぶものがあります。
あがく代わりにすること、それは機を逃さず行動できるよう努力を怠らないことです。次の一節に込められているように。
— the readiness is all. —
このすぐ後に響くのこそが、僕が心に据える次のことばなのです。
— Let be. —
引用元:高橋康也・河合祥一朗編注(2001)『ハムレット』(大修館シェイクスピア双書)大修館書店.
#18 原