読者の皆様、こんにちは。4年の常川です。
競技生活についてのブログは昨年の3月、「今シーズンの抱負」を書いて以来実に1年半ぶりとなります。久しぶりですので私の近況を申し上げますと、昨年4月に文学部人文学科日本語日本文学(国文学)専修課程に進学し、現在は卒論執筆に追われる毎日です。無事卒業が決まりましたら、4月から同じ研究室の修士課程に進み、2年間研究をすることになります。
さて、そろそろ本題に入ることにします。私たち4年生は先月の秋季リーグ順位決定戦を最後にバレーボール部を引退しました。今回はその報告と題しまして、本記事を書かせていただきます。国文学専修ということで文学作品にも勝る名文を!とは思ったものの中々筆は進まず、ありふれた内容をだらだら語るだけになってしまいました。ですが、5日かけて割と自分なりに頑張って書きましたので最後までお付き合いいただければ幸いです。
引退するまでの3年半を振り返るにあたって、まず部活を通して私に関わり支えてくださった全ての方に感謝申し上げます。
多くの時間と労力を割き、チームが勝つために部員を鼓舞してくださった西村監督、快くコーチ引き受け、どんな時でもチームのことを考えてくださった田内先輩、お二人の力なくしては1年間やり遂げることはできませんでした。本当にありがとうございました。
そして、柳川会長、松永部長、宇垣副部長をはじめとした赤門クラブの先輩方、日頃より現役の活動に対し多大なご協力、ご支援をいただきました。副務、主務と2年間にわたり現役の代表として多くの機会で皆様関わって参りましたが、至らない点ばかりで多大なご迷惑をおかけしました。しかし、先輩方一人ひとりの支えがあり、職務を無事果たすことができたと感じております。
現役時代、共にプレーした同期、先輩、後輩の皆様にも感謝申し上げます。たびたび面倒を起こし扱いにくい存在であったと思いますが、温かい目で見守ってくださったからこそバレー生活を全うできたと思います。
また、3年半を通して知り合いになってくれた他大学の皆様も私にとって非常に大きな支えでした。皆様と一緒にバレーができて本当に楽しかったです。
引退を迎えた今、バレー部で活動した約3年半の歳月を振り返ってみると、良い意味でも悪い意味でも様々なことがあったという心地がします。
この3年半、自分のポジションであるセッターとして公式戦に出た回数は数えるほどしかありません。さらには、2年生時をピークに出場機会は瞬く間に減っていきます。この状況は、自分たちの代になっても変わることなく、さらには今年の6月に右膝の半月板を損傷し引退を前にプレーヤーを辞めて残りの3ヶ月間をチームスタッフとして過ごすことを決めました。
中々精神的に辛いときが多かったように思います。もちろん試合に出られなかったのは偏に私の努力不足ではあります。最後に怪我ももっと入念に体のケアをしていたら防げていたかもしれません。
ただ、チームの中での自分の存在意義はあるのかどうか、試合に出ないならば何ができるのか、自分なりに悩んできたのも事実です。
試合に出るのは大抵勝ち負けが決まっているとき、ピンチサーバーで出場してブレイクを取っても不思議なことに大半のセットは落としました。それだったら裏方の仕事を全力でやればいいのか、練習を盛り上げるために声を張り上げればいいのか、でもそれは他の部員でもできるんじゃないか。自分はチームにとって必要な存在なのか。そんなことをいつも考えていたように思います。
最高学年になってからは、自分がプレーし続けることがチームにプラスになるのかどうかということを常に頭の隅に置いてプレーしていました。そして怪我でプレーヤー辞めてから裏方に徹するようになると、チームに貢献できている感覚が強くなりホッとするとともに情けなさも感じました。
3年前の新歓コンパ、毎年恒例となっている”新入生の抱負”において、出席者の前でこう言ったのを覚えています。
「試合に出ても出なくても、
チームの勝利に貢献できるような存在になりたい」
当時の心境としては、部活に入った以上チームの勝利を最優先に動くべきという信念からこのような抱負を述べたと記憶しております。我ながら立派な心がけです。
そこから待っていた部活生活は、奇しくもこの抱負に自分がどう応えるか問われ続けた3年半だったと思います。しかし、この目標を100%達成することはできなかった。部員として、プレーヤーとして、スタッフとして、やれることはもっとあった。もっと努力していればチームはもっと勝てたかもしれない。引退した後になって、いまではどうにもならない後悔が込み上げてきます。
けれども、辛いことばかりではなかった。特に最後の1年間は自分にとって本当に充実していました。
部員全員で大きな声を出して練習できたこと、東商戦で文字通りチーム一丸となって勝利できたこと、春リーグの惨敗をベンチで見守ることしかできなかった歯痒さ、双青戦で味わった人生最大の悔しさと思い通りに身体が動かない自分への怒りから涙したこと、七大戦・秋リーグでベンチという最高の特等席で試合を見守れたこと、最後の試合で同期にトスを上げたこと
その全てが大きな財産であり、これからの生きる糧になっていくのだと思います。このような経験ができたのは、チームの皆のおかげだといま改めて感じています。なんだかんだ同期には色々な場面で心救われ、頼もしい後輩にも恵まれました。このチームの一員でいれたことは私の一生の誇りです。
たくさんの恩をもらったバレー部に残せたものは、プレーヤーを辞めたことで他の部員の練習時間を少し与えられたことくらいしか自信を持って言えないのですが、少しでも皆の部活生活を充実させてあげられることがあったならばこれほど嬉しい事はありません。
後輩の皆さん、これから想像した以上に様々な困難が待ち受けているかと思います。しかしそれにくじけることなく、一球一球を大切にしながら練習に励んでください。史上最高のチームだったと、部員一人ひとりがこのチームの一員で良かったと心から思えるようなチームを全員で作り上げてほしいと思います。応援しています。まずは土曜日の赤門大会でどのようなプレーを見せてくれるのか非常に楽しみです。
さて、私は3週間前に膝の手術を受け、いまは正常に歩けるようにリハビリに励んでおります。3ヶ月間運動禁止というなかなか酷なことを課せられているのですが、現役時代と同じパフォーマンスができるまで回復することを目標にして努力を重ねていくつもりです。このブログを読んでくださっている方々といつかどこかでバレーがしたい、そんな思いを抱えながら引退後の生活を過ごしています。
ありきたりな内容になってしまいました。そろそろ終わりにします。三須くんがこれから面白い記事を書いてくれると思いますので皆様期待して待っていてください。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
#10 常川