引退 その1

こんにちは。4年のあいです。2019年も残り1ヶ月となり、卒論に追われている毎日です。

暑さと寒さが交互に来て気温の変動が激しいので体調には気をつけたいものです。と下書きしていたら久しぶりに体調を崩し健康体のありがたみを感じています。

(以下すごく長くなりました、もう発信することもないと思うので最後だと思ってお時間のある時に読んでくだされば幸いです。)

さっそく本題に入りますが、先日約4年間の大学バレー部、そして約10年間のバレー部生活に幕を下ろしました。この1年間ご支援、応援してくださった多くのOBOGの皆様、ありがとうございました。

この1年は、怪我人が多く直前までチームを固められないこともあり、試合本番で自分たちの思い描くパフォーマンスが出せなかった時もあり、ふがいない姿をお見せしてしまったこともありました。この代の終盤になるにつれ、いいプレーが本番でも多く見られるようになってきましたが、強豪相手にフルセット負け、最後を取りきれずに結局勝ちきれませんでした。

個々の能力が高く、かみ合ったときはとても強いチームだと感じられていただけに非常に悔しい結果でした。ただ、なかなか満足のいく状態が常に作れなくても、途中交代でコートに入った選手が自分の役割をしっかりこなし、今までで選手層は一番厚かったというのは誇れることなのかなと思います。

でもやっぱり勝てなかったのは悔しかったしそんなチームにしてしまった自分が情けないなと思いました。

 

思い返せばこの10年間、バレーボールが生活の中に常にありました。

小6で北京オリピックの最終予選を見てからバレーボールに目覚め、ボールを買って1人で見よう見まねで練習し、中学入学前からバレー部に入ると決めて始まったバレー部生活。しかしわたしが所属していた中高のバレー部はどちらも人数が少なく、勉強の次の位置付けとして部活動がありました。勝つということをなかなか味わえずに、楽しくバレーをする、そんな6年間だったと思います。

その環境も楽しくていいけれど、もっと勝ちを目指すバレーボールをしてみたいと思い、オリ合宿の次の日に早速バレー部に体験に行ったのを今でも覚えています。その時に上手な先輩ばかりで、スタッフ体制も厚く、勝ちを目指している、でも楽しそうな雰囲気もある東大女バレに惹かれて入部することを心の中で決めていました。

そんなこんなで迷わずに入部した1年生。そらさんという大エースを筆頭にあんさん、ちいさん、はるさんとコート内外で頼れる上級生のレベルが高く、萎縮してしまった自分がいた気がします。しかし上手な先輩と同じコートで戦えたことはその後の自分の財産になりました。

2年生。ライトというポジションにも慣れてきた頃、この代の試合に出るメンバーの大半が同期でした。ずっと試合に出させてもらって自分がもっと引っ張らないといけなかったのに、ゆずさんという圧倒的司令塔のもと、すごいコンビで大量得点するななさん、同じポジションでいつもアドバイスをくださるらずさん、先輩たちに頼って甘えていた自分がいたんだなと思います。

3年生。セッターに転向したこの時が本当に大きな分岐点だったなと思います。中学の時に少しやったくらいで、自分で点も取れないし、繊細なプレーなんて向いていないし、正直何度スパイカーに戻りたいと思ったかわかりません。でも私が悩んだ時も、考えすぎずにあげてくれたら全部打つからと、どんなトスも全部決めてくれる頼もしいみゆさんを頼りまくり、いつも一緒にトス練をしてたくさんアドバイスをくれ、試合の時もいつも声をかけてくれるうみさん、試合という究極の場面で必ず点を決めていくつもの試合で流れを引き寄せた最強のすうさん、プレー以外の細かいところにも気づけるお手本の先輩たちについていきながらも、自分がチームを引っ張るという意識も芽生えてきました。困った時は助けてくれる先輩がいるからこそ、のびのびとプレーできて、セッターとして自分があげたトスが決まることのやりがいを見出し、わがままにプレーさせてもらえたからこそ楽しかった1年だったなと思います。

 

そして4年生。キャプテンという役割を任されました。中高の時は顧問の先生の指示に従うし、人数も少なく意思統一も比較的楽にできました。そんな環境にいたので、OBOGの皆さまが応援に来てくださり、歴史を感じる大学バレーで、この大人数のチームを引っ張っていくのが私にできるのかなという不安もありました。それと同時に自分のことばっかり考えてしまう自分を変えたくて、チームのことを考える立場を引き受けようという気持ち、絶対このチームで結果を残したい、やるしかないという気持ちが大きかったです。

私は本能で動くタイプの人間だったので、練習の目的や意識すること、いかに同じ時間を有効に使うかを心がけて考えながら行動してきました。しかし最上級生が11人もいて、下級生のバレーのレベルが高く、それぞれの生活の中での部活の位置付けも少しずつ異なっていく中で、どこまで求めていいのか分からずに悩むこともありました。チームの練習メニューや各々のモチベーションを考慮するのは想像以上に難しかったし、自分のプレーがうまくいかなくて自分のことで悩んでしまうこと、やっぱりセッターは向いていないと思ったこと、キャプテンなんてやらなければよかったと思ったこと、思っていることをきちんと言ってくれる部員だけどそれがバラバラすぎてどうしたらいいのか悩んだこと、いろいろなことがありました。あまり感情を素直に表に出さないし1人で悩んでしまうタイプだったので、何を考えているのかわかりづらかったかなとも思います。

でもみんながきちんと想いを伝えてくれたからこそ、それを踏まえてより良くなっていったし、時にはキャプテンにはもっとこうして欲しいと助言してくれる同期もいて、そうしたチームメイトのおかげでやりきれたと思います。

 

そして。秋リーグになる直前、ずっと試合に出ていたのに試合に出たり出なくなったりという立場になりました。急に立ち位置が変わったことでコートの中で声をかけられないもどかしさ、自分のプレーでチームを引っ張れない悔しさ、情けなさ、いろんな感情がありました。1年生の時から試合に出てばかりで、試合に出られない選手の気持ちをわかったつもりでも、いざその立場になった時、私はわかったつもりだっただけなんだなと思いました。支えてくれる人たちがどんな気持ちで、出られなくてもずっとチームのために率先して動いてくれたのかを身を持って感じ、その人たちがいたからこそこの大人数のチームがきちんと成り立っていたのだと思います。私は人生でうまくいかなかったことはあまりなかったと思っていたし、負けず嫌いだし、自分はコートで動いて引っ張るタイプだと思っていたからこそ、初めて壁にぶつかって、でもこの経験によって何にも代えがたいものを得た気がします。

どの立場だからすごい、えらいではなく、チームにおいて自分に与えられた役割を理解し、時には自分の感情を抑えて目指すべきところに向かってその立場を全うする人が一番輝くのだなと思いました。だからこそ目指していたものを成し遂げたかったなという悔しさが一層こみ上げてきました。それでもこのメンバーで最後まで勝ちを目指してやりきったことに後悔はありません。

 

あまりまとまりのない文章になりましたが、最後に特に自分たちの代に大きなお力添えをしてくださった方々へ。

圧倒的バレーセンスを持ち、ちょっと毒舌な時もあったけど的確なアドバイスをしてくれた健人さん。3年間コーチをしていただき部活のほとんどを一緒に過ごし、部員の心のケアまでしていつもその場を和やかにしてくれた川田さん。多くの怪我人のケアをして回復を早めてくださった石塚さん。優しい言葉をかけて私たちの成長を見守っていつも試合にきてくださった松永さん。お前がうまくならないとこのチームはうまくならないと言って私の心に火をつけ、練習に来ては様々なアドバイスをくださった高梨さん。違うチームに行ってもメッセージをくださって応援し続けてくれた豊田さん。何度も練習にきて手伝ってくださったOBOGの方々。そしてご支援やご声援をしてくださるOBOGのみなさま。そして頼りなかったかもしれないけどついてきてくれた後輩、本当にありがとうございました。

そして!!たくさん迷惑をかけたけど、それでも支えてくれた同期。プレーでも副キャプテンとしてもいつも頼もしくチームを引っ張ってくれたかいちゃん、チームの元気印でいないと改めて存在の大きさに気づかされたかつ、どんなボールも一番最後まで追って気迫あふれるプレーを連発したしょう、高校の時から一緒でメキメキと力をつけてまっすぐな姿勢でみんなを奮い立たせたせい、厳しい言葉も優しい言葉もかけて副キャプテンとしてチームを鼓舞してくれたちなみ、たくさん悩みもあっただろうけどセッターとして共に頑張り最強の支えでいてくれたなつ、初心者で怪我にも悩んだけど主務としても最後まで仕事を全うしてくれた頼もしいふう、マネージャーとして私の気づかないところに気づいて支えてくれた偉大なるみずえ、クラスでも部活でも私生活でもずっと一緒にいたしAカットばっかりで私がトスしやすいボールしかあげなかったまみ、持ち前の性格でチームを和やかにしつつ高さのあるスパイクで相手を翻弄したりこ、4年間ずっと一緒に戦ってきて誰1人欠けることなくみんなで引退までやりきれてよかったです、ありがとう。

 

キャプテンとしての役割が果たせなかったと感じているところもありますが、後輩たちから、毎回の練習の目的や気をつけることをしっかり言ってくれたので考えながら練習するようになれた、下級生の意見をたくさん聞いてくれる環境がありがたかったしやりやすかった、かけてくれる言葉がモチベーションになった、いるだけで安心感があった、そんなメッセージをもらった時、自分の役割は少しは果たせていたのかなと思います。

 

人生初めての悔し涙を流し、人生初めての挫折(?)を経験したけど一回り大きくなれた4年間。うれし涙を流すことはできなかったですが、いつか後輩たちの試合を見て成長した姿でうれし涙を流せる日がくることを楽しみにしています。

 

ブログを書こうと書き始め、なんだかんだで振り返ったりしていたら5時間くらい経っていました。自分でもびっくりです。そしてブログを全然書き始めない同期を見兼ねた主務のふうが決めてくれた同期内のブログの締め切りも2時間オーバーしてしまいました。最後の最後までごめんなさい。何か書き忘れている気もするのですが、さすがに長ったらしいし卒論が待っているので終わりにします。

とてつもなく長くなりましたが、改めまして支えてくださった関係者のみなさま、ありがとうございました。今後は1OGとして女子バレー部を支えていけたらと思いますので、OBOGの皆様、今後も後輩たちへの変わらぬご支援ご声援をよろしくお願いします。

#6 あい