引退しました(なの)

こんにちは。先日引退しました、なのです。

引退してからは、余裕のできた時間を、就活と人と会うのに半々くらいで割いています。なんだかんだ、赤門大会など諸々の予定で同期や女バレのみんなにも会いました。そうこうしているうちに、引退から2ヶ月経ったことに驚いています。(引退ブログが遅くなってしまい、ご迷惑をおかけしてしまった方々大変申し訳ございませんでした)

さて、前置きはこの辺にして、本題に入ろうと思います。
まずはお世話になった方々への感謝から。

・赤門クラブのOBOGの皆様
ご支援・ご声援ありがとうございました。コロナ禍で始まった学年で、最初は対面でお会いする機会も少なかったですが、それでも変わらず気にかけてくださっていたこと、コロナ禍が終わってからは試合にも足を運んでくださり励ましの言葉を直接くださったこと感謝申し上げます。(完全な個人の事情ですが就活でお世話になっている皆様ありがとうございます&これからもよろしくお願いいたします。)

・歴代コーチ陣の先輩方
ご指導ありがとうございました。なかなかプレーの感覚を掴めない私にも辛抱強くアドバイスをくださったり、明るく振る舞いつつも表情に不安が表れている時に力強く励ましてくださったり、よりバレーを楽しむことができました。練習外だと私は生意気だったと思うのですが笑、いつも付き合ってくださりありがとうございました。本当に楽しかったです!また一緒にバレーしたり遊んだりしたいです!

・一緒のチームでプレーした先輩方
今まで練習内外でたくさんお世話になりました。プレーの癖を的確に言語化してくださったのはもちろん、私が元気な振る舞いの底に隠していた葛藤も気がついたらバレていてすごくびっくりしていました。それだけいつもよく見守っていただいていたのだなと思っています。先輩方がいたから私は女バレに入部したし、みんなで切磋琢磨しながら楽しくバレーができました。本当にありがとうございました。またご飯も行きたいです♡

・後輩のみんな
今まで一緒にバレーをしてくれてありがとう。あまり先輩らしい先輩ではなかったかもしれないけど、みんながいつも笑顔で話しかけてくれて、練習中にはアドバイスまでくれて楽しんでバレーできました。特に留学から帰った時も前と同じように接してくれて過ごしやすかったです。プレーのこともそれ以外のことも指摘し合える関係性を保ってこれからも頑張ってください!試合見に行くの楽しみにしてます!ご飯もいつでも行きましょう♡

・同期
4年間ありがとう。自由で、性格もバラバラで、個人主義が強くて、思うことがあっても何も言わずに自分の中で我慢する人たちが集まっていて、正直お互いに「この人は何考えてるんだ」と思い合うことも多かったけど、自分とは違う考え方を持ったみんなからたくさんのことを学びました。バラバラだからこそ楽しい学年だったな〜とも思います。これからも定期的に会おうね!

・部活外で支えてくれた家族、友人たち
いつも話を聞いて支えてくれてありがとうございました。例えば私が突然泣き出したりしてもあたたかく見守ってくれているみんなに、いつもメンタルを支えられていました。また、両親に関しては、土日の朝早くに目覚ましと物音で起こしてしまったり(笑)色々迷惑をかけましたが、部活に入るというおそらく予想していなかったような私の選択を4年間ずっと見守ってくれていてありがとうございました。

この感謝だけで終わらせようかとも思ったのですが、せっかくの機会なので少し自分のことを話してみようと思います。

私が女バレに入部したのは、「バレーをもっと上手くなって試合に勝ちたい!」「女バレの先輩たち優しくて楽しい!」という2つの動機でした。
私が元々「目の前のことをとりあえずがむしゃらでやっていたらそのうち辿り着くべき場所に到着している」という努力をすることが多い一方で、同期から学んだことの一つとして「目標を持ってそこから逆算して必要な行動を積み重ねる」努力の仕方があるのですが、今振り返ると入部時に、どんなプレイヤーになりたいかという理想像をもっと明確に持てば良かったなと思います。ただ、当時の私は後々こんな反省をするとは露知らず、目の前の練習が楽しくて、できるプレーが少しずつ増えていくのが楽しくて、夢中で練習していました。

2年生になり、同期が試合に出て活躍している一方で自分だけ全然出れなくて、苦しかったです。ここだけの話なのですが、このまま続けていても意味が無いのではないかと考えて、進振りのための成績獲得だったり、学業にもっと力を入れたくて、退部を1人でそこそこ真剣に考えたことも実はありました。ちょうど新歓の季節で、こんなことを考えている私が新歓担当でいいのか、多方面に迷惑をかけないか葛藤も感じたりしました。ですが、最終的にはこの新歓担当であったことが功を奏し、「新歓の真っ最中に新歓担当が退部したら大迷惑すぎるから、とりあえず新歓が落ち着くまでは続けよう」と思って練習に行っているうちに、「やっぱバレー楽しいなー!」という感情に変わり、素敵な後輩が4人も入ってくれて、退部したい気持ちが一切なくなりました。恐らくこの時の心境の一連の流れが自分の中では大きくて、これ以降色々辛いことはあったのですが、「色々あるけど、バレー楽しいし」と部活を続けてくることが出来ました (というか、バレーが楽しくて、辛いことがあっても辞める選択肢は全くなかったです。就活の面接で後々の怪我のエピソードを話して「やめようとは思わなかったんですか?」と言われた際に、この1回きりを最後にそれ以降、無意識のうちに退部の選択肢が自分の中になかったことに初めて気がつきました。)
そして、この時期試合に出れないなりに自分の役割を探して見つけたのも、その後の自分にとって大きかったなと思います。というのも2年生の時に、自分は明るさだけは誰にも負けないと思って、チームの盛り上げ役を自負するようになりました。(自分の調子が悪い時まで役割を全う出来たかはともかく笑)常に大きな声を出してチームの雰囲気を明るくしようと努め、部員の表情をよく観察して誰かの様子がいつもと違ったら声をかけたり笑わせてみたりすることを、ここから引退までずっと意識していました。自分が元気でないとチームを元気にすることはできないので、チームを明るくしようという自負のおかげで、自分自身の感情も明るくできていたような気がします。この頃は「自分の機嫌は自分で取る」をすごく意識していて、実際自分が色々と辛い時でもそれは表に出さず、なんなら自分のテンションを半強制的に上げて、自分の求められている役割を果たせていたんじゃないかなと思います。引退ビデオであおさんにも触れていただきましたが、正直そのビデオを見るまで「自分の機嫌は自分で取る」と言っていたことは忘れていたので(もちろん無意識にそういう生き方はしていたと思いますが笑)、自分でも「当時の自分大人ですごいな〜」と思っています笑
また、2年生の1年間の中で特に、秋リーグの明星戦はすごく楽しかった記憶として残っています。試合の直前にレギュラーの先輩の怪我で、急遽出場が決まり、試合の前は「先輩方に迷惑をかけないようにしなきゃ」と緊張していたのですが、試合が始まったら当然のようにそんなことを感じる暇はなく、ただただ目の前のボールに夢中になれました。得点を決められたスパイクもあったし、春は敗北していた明星大学に勝てたし、試合が終わったあと先輩方に褒めていただいたのも嬉しかったです。元々サイド希望で入部していて、ほとんど練習したことのないミドルとしての出場だったので試合前は戸惑いの気持ちも正直あったのですが、今ではブロックがだいすきなプレーになったし、振り返ってみるとあの時ミドルをやらせていただけて良かったなと思います。

その後、3年生に上がりミドルとして試合に出させていただくことが増えました。冬の富浦合宿、なぜか運動部が合宿に行けない中高時代を過ごした私にとって朝から晩までバレーをした初めての経験でした。身体は全身筋肉痛でしたが、楽しかったです。
春リーグ、1戦目の玉川大学戦はいつもと違う体育館で声も全然通らないし、後衛の時にひたすらクロス奥を狙われまくって全然取れなくて失点しまくり、すごい焦りました。その後の数週間、常に今までより強い危機感を持って練習にのぞみ、最終戦の群馬大学戦はいつもの自分だったら考えられないようなレシーブを何回もできました。とても調子が良く、嬉しかったです。
ただ、試合自体には負けました。第2試合の明星大学戦も第3試合も1セットは取れて、フルセットまでいっていたのに最後まで勝ち切れないことが悔しかったです。いつもの自分比では調子が良くてもまだまだ及ばない、特に自分のスパイクは全然点をとることができないと痛感し、七大戦に向けてもっと上手くなろうと思いました。これは個人的な事情なのですが、9月から1年間交換留学に行く予定で、この数ヶ月がだいすきな1個上の先輩方と一緒のチームでプレーできる最後の機会だったので、最善を尽くして良い結果で終わりたいとも思っていました。
ところが、6月、左肩を負傷しました。自分の腕の重さだけでも痛くて、普段はなんなく持てていた軽さのものさえ持てず、服の脱ぎ着にも苦労するほどの怪我で、当然バレーボールはできませんでした。やっと試合に沢山出れるようになったばかりなのに、1個上の先輩と一緒にバレーできる貴重な時間なのに、完治には数ヶ月かかりそうで七大戦に間に合うか怪しい状況でした。(後からお医者さんの知り合い伝えに聞いた話によると、本当は手術をした方が良い状況でしたが、私が「1ヶ月後には京大戦がある。遅くとも留学前最後の七大戦には出たい。しかも9月からは留学で通院もできない」とか言っていたため、手術をせずに治してくださったそうです。ありがとうございました。)悔しかったし、不安だったし、焦っていたし、1人で電車の中で号泣することもありました。そんな中でも前述した通り、やめる気は一切なかったです。無意識に女バレのプレイヤーとしてバレーを続ける前提で物事を考えていたので、なぜなのかと問われると明確な答えは言えないのですが、バレーが好きだったし、また試合に出たいと思っていたし、怪我をしても見捨てず仲間として接してくれる大好きな部員たちがいたし(+数ヶ月完治にかかりそう=数ヶ月経ったらまたバレーができるようになるということで、確実に復帰できそうだったし)という色々な理由があったからかなと過去を想像しています。特にのあさんや、肩を脱臼したことがあるという理由で相談に乗ってもらった今井さんの言葉には沢山救われました。元々通り過ぎた過去を後悔することは嫌いな性格なのですが、この時は特にお二人のおかげで「悩んだりしていても意味がないから、今後につながることをやろう」と気持ちを切り替えることができました。本当にありがとうございました。そして、リハビリしたり下半身の筋トレにひいひい言ったりしているうちに、気がついたら怪我は治っていました。七大戦にも一部ながら出ることができて、最終的には丸く収まった感情で留学に旅立つことができました。

留学の時期は詳しくは省きますが、東大女バレが、お互いにアドバイスし合ってチーム全体で強くなろうとする、ありきたりな言葉を使えば「切磋琢磨」が似合うチームであることを実感したりもしました。
そして帰国しました。留学中も話を聞いていたり、動画をたまに見たりはしていたのですが、やはり生で見た時にみんなが上手くなっていること、同期がすごく頼り甲斐のある先輩になっていること、(+国際色が豊かになっていること)に驚きました。私も負けないように頑張ろうと思いました。ただ、どう頑張っても試合にはなかなか出られませんでした。そして特に夏から秋にかけて就活が本当に忙しくて練習にも行けないことが多かったです。その中でどんなに頑張っても、自分はもうレギュラーとして試合に出ることは難しいのだと悟っていきました。この時「留学に行っていなければ」という思いがよぎらなかったと言えば嘘になります。ただ、留学に1年間行って正規生に混じって授業を受けたり生活したりしたことで学べたものがあり留学に行ってよかったと思っていたし、留学に行った自分を否定することは絶対にしたくなかったので、与えられた状況の中で、いかに悔いを少なくできるか、いかに自分の役割を全うできるかを考えていました。
この頃は、ぼんやりと、中高のバレー部顧問がよく言っていた「過去と他人は変えられないけど、未来と自分は変えられる」という言葉を思い出していました。これまでこの言葉について、「他人は変えられないけど自分は変えられる」の方はなんとなく思い当たる節がある一方で、「過去は変えられないけど未来は変えられる」の方は理屈ではわかるけどまだ実感はないな〜と思っていました(と言いつつ振り返ると、無意識のうちに自分の言動に反映されていたようにも感じますが。女バレでの4年間の中から例を挙げるとすれば、3年生に怪我した時とか)。4年の夏〜秋ごろ、「留学に行ったことは後悔していない、むしろ正解の決断だったと思う。ただその1年間で得られなかったものもある。その得られなかったものについてどう向き合うか」と悶々と考えていました。ただ、部活、就活と目の前にあるものに精一杯で、そんなことまで考えている暇はなく、悶々としているだけでした。
そんな時、川辺さんから「残り数ヶ月楽しんで」という1個上の先輩方からの伝言も合わせたLINEが届きました。この時期1番忙しくて、「部活もやりたいけど、就活もちゃんとやりたい。それぞれが互いを妨げ合っている」みたいなジレンマを1人で抱えていて、メンタルもやられていたので、LINEを見た時、色々な糸が切れたようにインターン帰りの夜の新宿で1人で泣いたのをよく覚えています(結構所構わず1人で泣いてしまう人間なので笑)。ですが、元々「何事も嫌々やるより楽しくやった方が良くね?てか楽しいことにしか時間使いたくないし!」というギャルマインドの端くれみたいなものが人生観の芯にあったこともあり、このLINEのおかげで今まで色々悩んでいたのが全部吹っ切れて「残り数ヶ月楽しむぞー!」と思うことができました。これ以降、全練習が、特にブロックが楽しかったです。いい性格をしているので笑、ドシャットを決めるとAチームの面々が悔しがるのが嬉しかったし、Aチーム側もそれで終わりではなくスパイクがどんどん力強くなっていったり、私のブロックの弱点をついて点を取ってきたり、お互いの攻防でどんどん強くなっていけている気がして、面白かったです。自分のブロックが打ち破られるようになるのは悔しい反面、チームが強くなっているという嬉しさを感じる場面でもありました。最後まで女バレの良さである切磋琢磨を感じることができていました。コートに立って先輩の役割を全うしている同期の横で、「バレーを楽しむ」という自分軸強めの動機で部活に取り組むことに若干の罪悪感を感じつつも、自分がバレーを楽しむことでAチームの練習相手になれるという直接的な効果はもちろん、後輩たちにも最後までバレーを楽しんでほしいと思うし、自分の姿勢が少しでも何か残せていたらいいなという間接的な効果も期待していました。実際にチームに対して、後輩に対してどこまで役に立てていたかはわかりませんが、引退時にもらった後輩からのメッセージを見る限り、少なくとも心から楽しんでバレーをしている自分がチームを盛り上げられていたことは事実のように思うので、2年生の時から自負していた盛り上げ役を最後まで全うすることができた自負や達成感は持っています。

思っていた以上に長文を書いてしまい、自分でもびっくりしているのですが、書きたかったことは書けたので、そろそろ締めに入ろうと思います。
個人としては試合にもほんの一時期しか出ていないし、執行代としても4部昇格を達成できていないのに、こんなに長々と書くのは、うまく行かなかった過去にもうまく行かなかったなりに意味があると、意義を見出して負け犬の遠吠えをしているみたいだとも感じて少し気が引けたのですが、いつか心の底から経験して良かったと思えるようになった時に読み返せたらいいなと思って書きました。自分の中でまだ整理が完全についていない感情を残しておくために苦しかった記憶が中心になってしまったのですが、4年間を総括すると楽しかったです。練習の帰り道も、みんなでご飯を食べている時も、合宿や遠征のささいな瞬間も、そして何より1つ1つの練習が楽しかったです。もちろん全然体が思うように動かなくて、得点が全然決められなくて、何度試してみてもコーチがおっしゃるようなプレーの感覚を掴めなくてもどかしかった瞬間だってたくさんありますが、振り返るとバレーボール楽しかったな〜と思います。スパイクで思い描いたように得点できたり、ブロックで相手の得点チャンスをこちらの得点にしたり、乱れたボールをギリギリで繋いで相手に返したりするのが楽しかったです。だいすきな仲間たちとバレーボールに夢中になれて本当に楽しかったです。
ここまで、自分の感情整理のために書いたものだし、後輩や誰かに刺さるものを書いた自信もないですが、ここまでずっと読んでくださった方がいらっしゃったら、ありがとうございました。