“RETIREMENT”という文字に”I”はある(引退記事3)

お久しぶりです。前副将の伊藤です。

秋も深まり冷え込む日も多くなってきました。毎年この季節になると「あぁ。引退記事の時期だなぁ。」と感じております。嘘です。僕は普段このブログを一切読みません。

とは言うものの、ついに引退記事が僕たちの代に回ってきたかと思うと多少は感慨深いものです。(ちなみに僕は”引退ブログ”という言い回しがどうもしっくりこないので、これまた微妙ですが”引退記事”と書きます。しょうもない意地ですがどうかお付き合いください。)

今回、少し凝ったタイトルを付けました。言わずと知れた本ブログの有名記事をパクったタイトルです。あまり深い意味はありません。

先輩方の引退記事では自身の4年間について振り返っているものが多く、僕も少し振り返ろうかと思ったので”I”はあると書いた。というのが建前です。

本音は、数回ですが今まで無難なブログ記事を書いてきたので、後輩の書いた記事を利用してでも少し爪痕を残してやろうと思っただけです。

(先輩方の引退記事も有名記事も例に漏れず先ほど初めて読みました。先輩方すみません。)

 

前置きが長くなってしまいました。本題に入ろうかと思います。

監督・コーチを務めていただいた森下さん栗原さん石川さん、OBOGの先輩方、直接関わった先輩方・同期・後輩、その他東大バレー部に関わっていただいた皆さん、3年半のご支援ありがとうございました。(順番合ってますかね汗)

何よりもその気持ちが大きいので最初に感謝の思いを述べました!

今後とも東大バレー部と”私”をご贔屓のほどよろしくお願いします。(ゴマすり)

 

次に、後輩へのメッセージですね。これも先輩方の引退記事の人気テーマなので僕も書こうかと思います。

降格してすみませんでした。頑張ってください。以上です。

アドバイスや熱い思いでも書こうかと思ったのですが、やめておきます。

真面目な後輩たちには僕のアドバイスが薄っぺらいのはすぐバレますし、ブログで間接的に伝えるような”ぬるい思い”は持ち合わせていません。(どやぁ)

カッコよく決まったところで、とりあえず引退記事の体を成しましたかね。

感謝の気持ちと熱い思いの詳細は追いコンで述べます。本当に持っていればですが……。

 

さて、ここからタイトルの通り真の本題です。(失礼ですね)

3年半のバレー生活を少し振り返ります。

自分で言うのもなんですが、3年半の全体を見ると、自分の能力の割には順風満帆な楽しいバレー生活だったかと思います。新歓コンパで「リベロやってもいいかなーと思ってます」なんて舐め腐った自己紹介をしてから引退試合まで、多くの試合に出していただきました。

これも偏に皆様のご支援のおかげです!(ゴマすり)

あとは、ただひたすら運が良かったからです。大きな怪我がなかったこと、少しレシーブができるという特徴が東大バレー部においては珍しかったことなど多くのラッキーに恵まれました。

特に、いとしゅん先輩の代の一橋戦はよく覚えています。先輩方の相次ぐ体調不良で試合に出られたのは不謹慎ですが本当に幸運でした。あの出来事があったおかげで最後まで試合に出してもらえたといっても過言ではないくらいです。

全体としては楽しいバレー生活でしたが、最上級生としての1年間だけに焦点を当てると辛いことの方が多かったです。これは僕だけでなく、東大バレー部の関係者全員が感じていることだと思います。理由は明確で、双青戦やリーグ戦など、ここ数年で負けた試合が一番多い年だったからです。

自分たちの代ということもあり当時は結構落ち込みましたが、今はもう諦めも含めたいい思い出になってます。(後輩たちには申し訳ないですが。)

あまり振り返っているとまた悲しくなりそうなので、この辺にしておきましょう。残りの思い出については追いコンでみんなと楽しみます。

 

少し茶化した、とりとめのない文章になってしまいましたが、そろそろ終わりたいと思います。最後に、載せていいのか怪しいですが少し昔の写真を。

皆さん本当にありがとうございました。(ゴマすり)

#8 伊藤大貴