こんにちは、先日部活を引退しました農学部4年四海佑亮です。現役時代は主務をしていました。名前だけでも覚えて帰ってください。
自分は何故か入部ブログなどを書いたことがないので、最初に書くブログが引退ブログになっています。訳がわかりませんね。多分まとまりのない文章になりますが、そういう事情を察してもらえるとありがたいです。
このブログを書くにあたってどのようなことを書くのがいいのか、いろいろ考えました。後輩に色々な言葉を託してもいいですが、それはまた別の機会に話すことになりそうなので、バレー部に在籍した4年間をシンプルに振り返ろうと思います。
そもそも何故部活に入ったかというと、正直消去法というのが大きかったです。当時はサークルに入ってバレーを楽しめるほど上手いわけではなくて、多分サークルに入っても長くは続かないだろうなあというのは薄々感じていました。趣味にせよ何にせよ、自分は楽しさだけを求めても長続きしないタイプだったので、やりがいを求めて部活に入ったという感じです。
自分は中学校ではリベロをしていて、高校ではセッターをしていました。大学では最初はセッターをしていましたが、どうしてもリベロがしたくて、初期にリベロにコンバートしました。実質初心者同然で、今思い返しても本当に下手くそだったと思います。実際、当時はコートに立つ未来が全く見えませんでした。周りの大学生が楽しそうに遊んでいる中週4日練習をして、それでも全然上手くならない。最初の1年は虚無感を感じながら部活に取り組んでいたので、バレーボールが楽しくなくて、本当にしんどかったです。何度も (辞めたいなあ) と考えていたのをよく覚えています。それでも、七大戦で同期とはしゃいだり、毎週のように麻雀をしたりしていて、バレー以外の部分は楽しんでいました。おかげで辞めずに済んだと思っています。七大戦のホテルで同期と一緒にパンパンに湯が張った浴槽に入って、水がザバァーッと溢れていく様子を見てみんなで大爆笑したのが、なんだかんだ4年間で一番笑ったかもしれません。今見返してもめちゃくちゃいい笑顔ですよね。いい思い出です。
そんなこんなでなんとか辞めずに頑張っていたら、ある程度上手になりました。2年の夏の七大戦からはレギュラーとして起用してもらうようになり、頑張ってきて良かったと思えました。一方で、チームを背負って試合に出るため、チームの弱点や自分のプレーの拙さに対してそれまで以上に真剣に向き合う必要がありました。コートに立つことへの重圧や外で応援してくれる人への責任感は、しんどい下積みがあったからこそ余計に感じました。
なんだかんだで2年の夏から引退まで試合に出ましたが、後半はコロナもあってか、あまり深く記憶に残っていません。大会がない期間はあまり試合のことを考えなくて良かったので、後輩たちとワイワイしながら気楽に部活に臨めました。最上級生としての最後の1年間は試合がなかったとはいえ非常に楽しかったです。いい後輩に恵まれたなぁと思います。
つらつらと4年間を振り返りましたが、文章量でわかる通り、4年間を振り返ると最初のしんどい期間が記憶の大半です。辛いからこそ記憶に残っているのだと思いますし、結果としてそういう期間があったからこそ引退の際の感動が大きいのだと思います。辞めずに続けて良かったです。いい4年間でした。
最後に、面倒を見てくれた先輩や自分を起用してくれた当時のキャプテン、慕ってくれる後輩、チームの面倒を見てくれた監督・コーチ、引退に花を添えてくれたマネージャー、そして何より、辛い時も楽しい時も一緒に過ごした最高の同期に、普段は照れて言えないからあえてこの場で感謝を伝えたいと思います。みんなと過ごせて本当によかったです。一生忘れません。引退してからだいぶ暇なので、ぜひまた会いましょう。楽しい話を聞かせてください。
#9 四海